TAKAKO SHIRAI PEACE on EARTH

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京都新聞 朝刊
5月
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山陰放送(BSS)
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Roots of The「涙河」キャラバン!

TAKING LIFE ダイアリー

京都大原「たんば茶屋」 18.06.23 06:00pm

PEACE MAN CAMP 2018 &初個展「Life is HEART」展開催!

5月5日(土)こどもの日、京都大原の「たんば茶屋」にて、念願の《命の種まき》田植えイベント「PEACE  MAN  CAMP 2018」&白井貴子初アート展「Life is HEART」展が開催されました!
もうすでに一ヶ月以上前のお話!(汗)
今、大原の田んぼは、あの日「HEART」のみんなと手植えしたお米の稲がスクスクと元気に育っています!

 「こどもの日」だったというのも素敵な偶然!
こいのぼりが気持ち良さそうに青空に泳ぐ晴天に恵まれ、少し暑いほどでしたが、みんなでワイワイ言いながらの楽しい時間でした。

 遠くから近くから参加してくれた皆さん!本当にありがとうございました。
「たんば茶屋」の田口爺も大ハッスル(古!)
数日前からしっかり私達のために「田植えの定規」を作ってくれていました。

 どういうことかと言うと、みんなで手植えしても、まっすぐキレイに稲が並ぶよう、まるでプールみたいにコースを作り、
稲を植える場所が記される木枠を用意しておいてくれたんです。
おかげで、私達、みんな「田植え初体験」にもかかわらず、ガヤガヤおしゃべりしつつもちゃんと迷わず植えることができました!

 たっぷり張られた田んぼの水面が太陽にキラキラと輝いています。
その水〜泥の中に生まれて初めて足を入れた瞬間は、まるで「月面着陸!?いや、地球着陸?!」(笑)
「縄文時代」まではまだまだ遠い!
や〜っと「弥生時代」に行けたような感動でした。
これまで何万粒ものお米を食べ「力」をもらい生きてきましたが、
その、自分の命を支えてくれているお米が生まれる世界にやっとたどり着けたように新鮮で、
少し大げさですが人類の「食」の歴史、その時を遡るような吸引力も感じます。

 「農家の皆さんはこの場所にずっといたんだな〜。」生きている間に体験できてギリギリセーーーーーフッ!!

 参加してくれた皆さんの中に、お一人お子さんと一緒に参加してくれた方がいました。
その11歳の僕。大人達がワイワイはしゃぐ中、黙々と「田植え」をしている姿がとっても眩しかった。

 2時間ほどをかけ1レーン終了(汗)ここでクイズです!
ひと摘みの稲、一回分の苗は、さて何本くらいづつ植えるのでしょうか?

 かねてから「人生一度はやってみたい!」と思っていた田植えですが、昨年の夏、田口爺に初めて田んぼに案内していただいた時の会話が始まりでした。
 
 美しく成長した稲穂を見渡しながら・・・

貴子(T)  「素晴らしい風景ですね〜。」

田口爺(J) 「これがな〜、手植えも大変やけど、天日干しにした米が、またうまいねん!
今はみ〜んな機械でバ〜っと刈って、乾燥機に入れるけどな。」

T 「そんなに天日干しは美味しいんだ!いいな〜私も食べてみたいな〜」

J 「ほんまうまいんヤ!」
  「わしも、もう何十年も食べてへんな〜!」

T 「え〜ッ、本当ですか?!それじゃ〜是非、来年、ファンクラブのみんなに声かけしますから、
一緒に田植えをやらせてください!
  お爺ちゃんも昔はせっせとこの田んぼで田植えしたんだ〜!」

    と伺うでもなく呟いたその時、

J 「いや、わしゃ一度も田植えやったことあらへん!そりゃ〜、ちょっと機械で余った場所にはやったことあるけんど。」

Y  「えっ〜!本当ですか?!」

J 「大原は昔から、田植えは女の仕事や!わしらは、その前の牛を引いて田んぼを作る仕事や。」

・ ・・・・そういうことか!だからあの大原女の姿が有名なんだ!
大原女の皆さんが並んで田植えか〜。さぞかし昔は美しい風景だったんだろうな〜。

 そんな時、おこがましくも思ってしまったんです。田口爺ももう86歳。
きっと一人ではもうさすがに出来ない田植え〜天日干しの作業に違いない。
元気なうちに、是非もう一度天日干しのお米を食べていただきたい!
そして、私たちに、その味を教えて欲しい!と。

「天日干しが一番や!」なんとも言えない、その田口爺の遠い昔の記憶に刻まれた味を噛みしめるかのような笑顔と言葉に、
実は9月にその稲刈り〜天日干しの作業をやる日程を決めていましたが、田口爺からの突然の連絡で
「雨が来そうやから、予定日まで待ってられへんわ!刈り取るで〜!」との連絡が(汗)

 そんな悔しさから「よ〜ッし!来年は絶対にやろう!」と固く心に誓う私。
今回の「PEACE MAN CAMP」は、こんなやり取りから実現しました。

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「命の種まき」

また「命の種まき」という大テーマは、この春のコラムでお伝えした一回り歳上の、私にとっては
姉のような存在の叔母の難病生活から得た思いでした。
認知症とALS(筋萎縮性硬化症)により体の筋力が衰える恐ろしい難病と闘う叔母。
飲み込む筋力もなくなり、今年2月くらいからは、刻み食から、完全にミキサーで攪拌したものしか
食べられない状態になっていました。
にもかかわらず、最初、拒否が激しく、毎食、2割ほどしか食べてくれない日々が続き
「このままじゃ死んじゃう!」と緊迫した時間が続きました。
そこで「素材がわかれば食べてくれるかも?!」と試す日々。
魚やお肉を薄く薄くスライスして、又、元の姿に戻したり、ケーキならモンブランのような
柔らかく見た目が派手で食欲が出そうなものを探したり、ヨーグルトは確実に食べてくれたので、
沢山買って施設の方に毎朝出していただけるようお願いしました。
ミートローフやアップルパイも大好きで、叔母の前で姿をしっかり見せて、1センチくらいに小さく切って、
一口一口、まるで赤ちゃんにあげるように叔母の口へ運びました。
それでも咳き込みが激しく、一つ食べるのに1時間ほどもかかりました。
そんなことに苦心惨憺する日々を通じ、つくずつ、私たちのこの「命」は一粒一粒、食べものの力を
いただき成り立っていることを痛感。
また、少しでも叔母の無念が世の力になるよう生きたい!
という思いで掲げたテーマでした。

 その第一歩の「PEACE MAN CAMP」
私にとってもファンクラブイベントとしても「大いなる第一歩」記念すべき1日。
私は叔母に一口一口食べてもらうのと同じ気持ちで稲を大地へと植えました。

 心配な叔母を施設の皆さんにお預けしての旅を終え湘南に戻ると、必ず、旅の報告をしました。
「今回はね、京都で田植えをしてきたんだよ!ライブじゃないのに、ファンののみんなが来てくれたよ!」と。
クリームみたいなご飯に、同じくクリームみたいなおかずを混ぜて叔母の口に運びます。
「どうにか食べて欲しい」という気持ちと一方では
「食べることも、話すこともできないのなら《生きて欲しい》と思うこと自体、叔母にとって酷なことなんじゃないか?間違っているのではないか?」
と心さいなまれながらも、やはりついつい口に運んでしまいます。

 4月頃から、叔母はついに左手が使えなくなり、右手だけで食事をしていました。
それも何度上げても、右手が口まで上がらず、何度も何度もトライしながらの作業は本当に気の毒でなりませんでした。

 残された右手だけの筋力。
神様は生きるためだけに必要な力しか残してくれないんでしょうか?

 旅から湘南に戻る私は、母の介護と叔母の施設との行き来で、まるで「訪問介護士」のような毎日でした。

 でも不思議と、沢山、メロディーが出てきました。
私はその都度、歌える場所を探してはスマホに録音。数えてみたのですが、2日に一度のペースです。
叔母の思いが乗り移るようでもあり、私自身、音楽に助けを求めるような、そんな心救われる数秒でした。
 
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湘南から京都、そして「大山1300年祭コンサート」へ 

Roots of the 涙河キャラバンも5万キロを優に超え、湘南でのまるで介護士?!の日々から、
また再び叔母を施設の皆さんにお願いし京都の円山音楽堂で開催のエコイベント
「Live!Do your Kyoto」から大山開山1300年祭への旅に出ました。

 京都の円山音楽堂は、高校の時「キャロルとミカバンド」の凄い対番ライブを見た思い出の場所。
あの日を振り返ると「日本の軟派と硬派のロックバンドが対バンした記念すべき日」だったと確実に言える!
私にはそう思える聖地です。

その円山音楽堂で歌えるのは本当に幸せなこと。
また、どんな大変なことがあっても「歌う」という自分の場所を持つことができていることへの
ありがたさをひしひしと感じ、自分の楽曲にさえ癒されてしまう「音楽の真髄」に触れたように感動な時間でした。

手ぬぐいフリフリ応援団の皆さん?!も本当にありがとうございます。
大空の下ではためく手ぬぐいの河、とっても素敵でした。

誘ってくれた秋人さんはじめスタッフの皆さんに「ありがとう!」
 そして、大原の畑では、ほうれん草の収穫のお手伝い。土の香りに癒され、
「こんな元気な野菜を叔母に食べされてあげたいな〜」と思う夕暮れ。
半年前、叔母を救うため危うく白井貴子の活動が消えそうになってしまったところをバンドや
ファンの皆さんにレスキューしてもらったあの日を思い、叔母には大変申し訳ないけど
「ここは割り切って!」と思いつつも、何を見るにつけても「ちゃんと食べてくれてるかな〜」
と心配は止まることはありませんでした。

 そんな思いを振り切るように、キャラバンは中国地方へと。
岡山・岩国・広島〜江田島。この夏開催予定のライブを各地の皆さんにお伝えしつつのご挨拶キャラバン。

 山から山を通り抜け島根県到着!そんな中、初めて出雲大社へもお参りすることができました!

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「国生み伝説の神社のお参り完了!」

幼い頃、家族旅行した伊勢神宮。90年代テレビのロケで登山することができた龍馬とお龍さんの新婚旅行の地、九州の高千穂の峰。
「エンジン01文化戦略会議」の宮崎で天照大神の天岩戸もお参りさせていただき
「涙河」キャラバン中には、北山修先生の生まれ故郷、淡路島の伊奘諾神宮もお参りでき「残すは出雲大社!」
と思っていたので感無量(汗)

自然に「どうぞお参りを!」と導かれているようなうれしい日程。
本当に人生は「涙河」。色々、色々とありすぎ!小銭で「これでもか!」というくらい沢山、お願いしちゃいました!(笑)

 そして、お約束の島根ワイナリーでの小さなカップで大量試飲会(笑)。
心も体も癒される贅沢な旅。「叔母ちゃん、ママごめん!」

そして鳥取、大山へ!

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「涙河」毎週OA!山陰放送「ぶんしょう堂」
 
 BSS山陰放送で毎週土曜日、午後4時から放送の板井文昭さんの番組
「週刊ブンノジぶんしょう堂」では、毎週「涙河」をエンディングに流していただいています。わざわざ、京都まで、きたやまさんとのライブを見に来てくださったほど、板井さんはきたやまさんの作品がお好き。だから「涙河」を応援してくれているんだ〜と感謝感激です。

そんなご縁に導かれるような今回の大山の麓でのライブ。
前日6月2日の朝テレビとラジオに出演させていただき、その後、3時間くらい自由時間ができたので、
あの「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な境港へ行きました。

 「鬼太郎ロード」には素晴らしいゲゲゲの世界の銅像がいっぱい!
それも一つ一つ見応えある、素晴らしい作品ばかりで驚きました。世界中のアニメファン必見ロードです。

実は、今回、同行してくれている広島の80年代からの仲間の米原さんと、この境港のお祭りで
25年前にバッタリ遭遇したことがあったので
「懐かしいね〜、私は確かロンドンから帰国したばかりの頃で、だからお祭りに呼んでもらってうれしかったんですよね〜。
米ちゃんも照明の仕事してたから驚いた!」
なんて思い出話しつつ再び訪ねた境港。

 「でも、あの時、この街の誰に声をかけていただいたんだろう?」
という話に!でも残念ながらお互い昔すぎて思い出せません。(汗)

 その日はやけに暑くて、だんだんとお腹も減ってきた・・・。
ホンチが「蕎麦がいいな〜」と。でも商店街は海鮮丼やラーメン屋さんばかり。
なかなか蕎麦が見当たりません。

 すると、ずっとずっとゲゲゲの鬼太郎の商店街のアーケードもとおに終わったその向こうに
「蕎麦の旗」がパタパタはためいていました。

 「エ〜ッ!あんなに遠くまで行くの〜」お腹は減るし、暑いしでついつい文句。
でもしかたない・・・とトコトコそこまで行くことに。

やっと着いたその店先。
この暑いのに、ユニークなイカの帽子を被った、まるで「鼠小僧」みたいな人が、私に
「これ食べて!どうぞ!どうぞ!」と、
それも、とても試食とは思えない大きなハンペンを私にしきりに差し出してくれるオジちゃん。

 お店の奥に目をやると、やけにワイルドな沖縄的な市場があり、結局、そこが「蕎麦打ち」もやっている「蕎麦屋」さんだったんです。

 「大丈夫かな〜この店・・」・・・(汗)
でも、もうくたびれちゃったので入るしかない!
と覚悟を決めて入ったその時、今度は私の横を行ったり来たり、何かいいたげに、私の顔を覗いては通過、覗いてはまた通過・・・(汗)
変な人だな〜って思ったけど、私も職業病で思わず「こんにちは!」と声をかけると、
「僕のこと覚えてない?」・・と自分の鼻を指差し笑顔で話すオジさん。
「うッ!もしかして!あの日、私を呼んでくれた〜?!」と私も思わず大声に!
「そうだよ〜!港で歌ってくれたよね。忘れちゃったの?!」

 そうなんです!この怪しげな市場の皆さんこそが25年前に私を境港に呼んでくれた、街の「商工会議所」の皆さんだったんです。

「ゲゲゲ〜ッ!」

も〜驚きでした。こんな偶然があっていいものかと!
しかも25年前にバッタリこの場所で出会った米原さんも一緒なんですから、本当に驚き。
 境港はきっと再会の港ですね。
そんなうれしい出来事を抱え、3日大山開山1300年祭ライブの日。何よりも心配していたお天気にもお陰様で恵まれ、
早朝から登山する人もいっぱいだという知らせ。

「きっと白井さんの歌を聴きながら下山する人も多いと思いますよ!」
という素敵なお話を聞きつつのライブはラジオの生放送も同時のドキドキタイム。 

こちらでも、また、素敵な再会!
以前、KBS京都での「住まいは文化」という番組のロケで訪れた歴史的建造物「門脇家」の皆さんも
今回のお祭りに協賛されていて、しかも、地元のミュージカル劇団「夢」の子供達と「大山賛歌」を
一緒に歌ったのですが、門脇さんのお孫さんもその劇団の一員だったんです。

実はそのお孫さんのお母さんは、90年代、私がロケに訪れた時
「はずかしい〜!」と言って隠れて側まで来てくれなかった女の子でした。

 あのロケから早20年ほど。ロケにおつき合いいただいた祖父母は他界され
今ではそのお孫さんもりっぱなお母さんに。家族の綿々と続く歴史を私も知っているなんて、私も長生きしてるな〜。(笑)

 私が大山に来たことを喜んでくださり、本当にうれしい米子の旅になりました。
 そして、その同日の夕刻「ぶんしょう堂」の生放送では、なんときたやまさんが電話ゲスト!

「彼女の声は健康だ!彼女の声を聞くと、元気になる!きっとその向こうの心もそうなんだろう」
という、うれしいありがたいコメントをいただきました。

つくづく「こ〜んなに心疲れることばかりの私なのに、それでもそういう印象を持ち続けてくださるというのは、
私の根底にある消えることのない個性なんだな〜」と堪忍する時でした。
 
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「アジサイの花のように命を燃やした叔母に拍手!」

(前回のコラムの続きです。さらに長編なので、お時間作って読んでもらえるとうれしいです!)

 今回は10日間という長旅で、かなり心配でしたが、やはり帰郷した5日、
叔母は遂に何も食べられなくなっていて、鼻から酸素をもらい「点滴」で生きている状態になっていました。

施設の皆さんは「貴子さんが帰ってくると、彼女の瞳が全然違うんだよね〜!」と帰りを喜んでくれました。
「大変だったね。側にいてあげられなくてごめん。」
「沢山、出雲大社でお祈りしてきたよ!」一生懸命伝えました。

 一ヶ月前に施設に到着した、まるで女王様のようにヘッドレストのついているりっぱな車椅子にも、もう座ることも出来ない。

・ ・・とうとうここまでになってしまったか・・・・。
信じたくないカウントダウンが始まっていました。
でも、聞いた話では「点滴で10年生きた人もいる」と。
あれこれ、多方面に覚悟を決めつつの時間。

 一つだけ、家族や施設の皆さんと決めていたのは「気管切開をしない」ということでした。
ALSの患者さんの中には、
「近未来、ALSの治療が見つかれば治るかもしれない!」
と希望を持ち「気管切開」をして頑張っている方も多いと聞きます。

あのホーキング博士は目で文字を追うことでパソコン画面に言葉が文字化され会話。
ALS発症後も精力的にお仕事されたことで有名ですが、同じ方法でALSになっても頑張っている方が
世界中に沢山いるそう。本当に凄いことです。

 でも叔母はかわいそうなことに、認知症のためにすでに、話すことも書くこともできなかったので、
そんな状態で気管切開をするのは、あまりにも酷なので、叔母には気管切開はせず自然に旅立ってもらえたらと決めていたのです。

「もう食事を取ることができない」のですが、さらに酷なことは、叔母の「食欲」の脳は正常でした。
それが何よりも辛く、私は口のほっぺたの裏に「はちみつ」や「アイスクリーム」を塗ってあげました。
最後に可能な最大限の「食」
少しでも美味しい記憶の中で天国へ行ってもらいたいと願う時間でした。

施設の皆さんにも日々、叔母への手厚い看護と介護には頭の下がる思いで
「仕事とはいえ、本当によくここまでやっていただける。」
と手を合わせるようなことばかりでした。

勿論、大きな事故にならないためへの規則が多く、病状が変化するたびにケアの方針を打ち合わせ。
そのたび国の決まりで書類を交わさなくてはいけません。
でも皆さんが私の思いをくんでくださり
「食はダメになってしまったので、他、最後、何をしてあげたいですか?」
と聞いてくださり、
「叔母はとても綺麗好きなので、お風呂はダメですか?」
と言うと、
「それはいい!」「そうしてあげましょう!」
とみんなうれしそうに賛成してくれました。

病院は勿論、高齢者施設でも、決まりは決まりで、なかなか直ぐに最善の対処に変更するには時間がかかることもありました。
でも施設では家族が是非!とお願いするとOKになることも多く、その数日後、看護師主任の長年のご経験で
微熱のある状態だったそうですが絶妙なタイミングでお風呂も入れていただくことができ、
叔母も実に心地良さそうな顔をしていました。
そして6月15日へと明ける頃「息が徐々に荒くなってきた」との連絡を受け、親戚や叔母の友達にも報告。
次々と親戚も面会できて、深夜、私一人叔母の元に残ることになりました。
親族の半分は80代。亡くなる順序が違いすぎ。
超高齢化社会を実感します。
それでもやはり「みんなに来てもらえてよかったね」と言い続けました。

 叔母とは実は、若い頃、喧嘩もとっても多かったんです。
小学生の頃は、夕飯後、台所にお茶碗を持ってゆくと「貴ちゃん!ちゃんとお水を貼って!」とよく叱られました。

大人になっても叔母の厳格さ、潔癖症が理解できず、都内で共同生活した時も良く言い合いになりました。
天国へと頑張って呼吸している叔母の瞳を見つめ、そんなあの頃の話をしたり、二人しか知らないお話をしたり、
そして、ビオレのCM「弱酸性のアイツ」のCMを叔母はまだ知らないので
「こんな面白い仕事して来たんだよ!」と画面を見せたり、
昨年の11月病院へ駆け込んだ以来、二度と帰ることのできなかった都内の自宅の写真を見せたり、
それに疲れたら叔母の耳元で歌いました。

 そんな時も叔母は一生懸命息をしながら、ずっとずっと私を見てくれています。

 本来なら、肩で息を吸い辛い状況の時。
でも、叔母はALSで筋力がないので、その分、肩で息をすることができないので、穏やかだと看護師の方からの状況説明。
叔母は天国へのラストスパートでさぞかしキツイとは思いますが、その穏やかな姿は私にとっては救いでした。

 血圧を測ります!・・と看護師さん。 ・・・100・・・・・ 80・・・・・。 
徐々に唇が紫に変わってきました。
まるでピンクのアジサイの花が紫に色づいてゆくように綺麗です。
生命という燃料を燃やし生きている叔母。
「こんな時、どんな歌を歌ってあげたらいいんだろう?」
なかなか思いつかない・・・。
悲しいばかりじゃきっと叔母も嫌に違いない。
「元気にな〜れ」「白い色は恋人の色」「Chance 」
ひそひそ声より少し大きいくらいの声でメドレーで歌いました。

叔母の幼い頃からの親友の女性が「貴ちゃんに介護してもらって、本当に彼女も喜んでると思う。
いつも会うたび、彼女は貴ちゃんのことを必ず話すのよ!
誰よりも貴ちゃんを応援していたんだよ。貴ちゃんのことが大好きだったんだから。」と。

 そういえば、25周年の時も、35周年の時も、原宿できたやまさんとライブした時も最後のライブになってしまった長野でも、私がいいライブをやると、それはそれは本当にうれしそうな顔をして会場を去っていった叔母の姿が鮮明に浮かんできました。

「本当に、本当に私を応援してくれていたんだ!」
わかってはいたけど、会えばついつい言い争いになることの方が多かったあの日。
「今頃知ってごめん!」
「本当にありがとう」・・・・「ありがとう」
「若い頃、沢山助けてくれてありがとう!」「感謝してるよ!」
「文句ばっかり言ってごめんなさい!」
 
 叔母の瞳が、キラッと、瞳孔が開いて輝いたように思えました。
きっと全て聞いてくれている・・・。わかってる・・・。
口をずっと開けて息を吸うので、口がどんどんと乾きます。
口元に「お水」を一滴一滴あげました。
地球最後のご馳走だよ!沢山飲んで。
自由に飲めなかったもんね。大変だったね・・・一滴一滴口の中へ滴を落としました。
そんな時、ふと「涙河」のジャケットの絵を描いた時も、同じ作業をしたことを思い出しました。

 その時は一滴一滴の「涙」そんなことを表現したくて、落とした雫でしたが、
叔母の口へと届ける一滴一滴は、まるで「涙河」の滴のように思えました。

 急にパタリと叔母の息が止まりました。「アッ!・・・」
また、数秒したら、また始まり呼吸。一刻一刻、残された命の尊さ・・・・。
もしも病院なら心電図があるはずです。でもここは高齢者施設という名の「叔母の家」。
叔母の息だけが生きている証です。

看護師の方が駆けつけてくれて、また血圧を測ります。
80・・・60、60・・・20。1時間づつかけて徐々に落ちてゆきました。
心電図に頼ることなく、叔母の息づかいを頼りに最期へと向かう時間。
 全身全霊で、なんと素晴らしい姿を私に見せてくれているのだろ!
「ありがとう」「ありがとう」何度言ったことでしょう。

午前4時過ぎ。もう、もう・・逝ってしまうだろう。
私は「海」という歌を思い出し「そうだ!海を歌います!」と告げると叔母の瞳がまたキラッと輝きました。

      海鳥 空に浮かんで 生きている地球に手を伸ばす
      浜辺で遊ぶ子供達 お母さんが呼んでる
      どうして 大好きなのに いつかは 離れるの
      ・・・・ ?・・・・・?この海の浜辺で

 アッ、な〜んか歌詞が違う!?ごめん。
疲れで頭もぼ〜っとしてて・・あれれッ?!・・・・

・・・叔母ちゃん!思い出した!

「さよなら またきっと会えるよね」だった!
もう一度歌うね。
「さよなら またきっと会えるよね。この海の浜辺で、この海の浜辺で・・・」
 ・・・・歌い終えたとほぼ同時に、
まるで魔法の国から風が吹き、叔母を連れ去ってゆくように、タクトが空へ登るように息が止まり静寂が訪れました。

 素晴らしい!見事な美しいフェイドアウト!
「叔母ちゃん!カッコいいよ!」拍手で手を合わせました。
施設の皆さんもかけつけてくれて「凄〜い!凄い!ねばり強い!よく頑張ったね!」
と口々に褒めてくれます。

「そう!叔母は《ならぬものはならぬ》の会津の血が入ってるから!」
涙しながら苦笑する私。

 叔母のしなやかでありながらも芯の強い生き様。
我が道を行く姿勢。穏やかに、健康に終わるであろう人生が急変したこの1年の壮絶な日々。

 全てが終わった。
「人は本当に終わるんだ。」
「人生はこうして終わることができるんだ!」
まるで、大きな「人」という花が、綺麗に、綺麗に徐々に枯れてゆくような素晴らしいラストスパートに悲しくも心いっぱい幸せな気持になりました。
 
今、叔母が天国へと旅立ち、早7日が経過しました。
今、私は京都にいます。
シトシトと降り続く雨は叔母の涙のようでもあり、また、その滴にアジサイ達はキラキラと見事に輝いています。

 あれこれと、この半年の突然の嵐のような激動の日々を振り返り、肩の荷を降ろすようにこれまでの日々を綴っています。

 この半年、毎日のように通うことで、施設の皆さんともすっかり仲良しになり、ちょっとしたスキに色々話しは募りました。
皆さん誰も「百戦錬磨」。
特に看護師主任の女性とのお話しは、とても興味深いものでした。
「私も元々は緊急搬送の部署で、それはそれは大変な所で仕事をしていました。
でも、病院だけのやり方にある日、疑問を持ってしまったんです。

だから私はこの施設に来たんです。」と。ハッとしました。
それは、私が、かつて80年代、あの戦場のように過酷な音楽業界の動きの中で
「これが本当の音楽と言えるのだろうか?」
と疑問を持った思いと通じるように思えたからです。

 私が「病院がこうだ!」とか「施設がこうだ」とか言えるぶんざいではありませんが、
少なくとも、叔母の食が止まった時、もしも病院に送っていたら、何度も何度も血液を取り検査検査になり、
果ては気管切開し人工呼吸器の運命になっていたかもしれないと思うと、そうではない道を選んで、本当に良かったと思います。

 施設の皆さんの手厚い介護、ご協力をいただき、最後、みんなの力で叔母を見送ることができました。
決して病院ではできなかったであろう命の終わり。
みんなで大きな仕事を成し遂げたような達成感に叔母が亡くなった後、施設の皆さんと思わずガッツボーズで握手をしました。

 一人の人が病気になり治療すると言っても、千差万別かと思いますが。
叔母は本当に自然に自然に天国へ旅立ってくれたことに心より手を合わせ感謝する今」です。

 叔母は7年前「脳腫瘍」ということで、かなりの脳にメスを入れました。今回の叔母の病を「その後遺症だ!」
と言って病院と戦う道も考えました。
でもそれはもう今頃言ってもしかたのない、全て答えは闇の中。
家族には何の手立てもありません。

 ただ一つ、患う叔母を前に「こんな不自然な病はきっと手術をしたからだろう」という思いでした。
 正常な脳と、全て破損している脳があることが明らかに素人でもわかる。
そんな不自然なことは「悪い所だけを切り取る。」ということをしたからなんじゃないかと思ってなりません。
 西洋医学のやり方に大きく疑問を持ちました。
こんな言い方をしたら乱暴ですが「どうせ死ぬ」にも別の方法があるんじゃないか?
また生きている限り「いつか必ず死ぬ」という「生命」の運命を思うと、
もっともっと自然な道があったんじゃないかと思ってしまいます。
今回の叔母の事態が、少しでも現在の西洋医学を進めるお医者様に知っていただけたら幸いです。

「手術をして、これ以上直せない」と宣告され、病院から見放された後の病人の最期を知っていただき、
叔母の命が少しでも「脳腫瘍」という同じ病気になってしまった皆さんに役立つ「命」となれば幸いです。

 また、先日「ミッシングワーカー」と呼ばれるミドルエイジの人が増えているということをテレビで知りました。
 高齢者施設が高額で、とても施設に入れることのできない家族が、介護をするため仕事を辞めて親の面倒を見る、結果、親の年金で暮らすしかなくなっている人達の問題です。

「親の年金で暮らすのはダメ」とそこばかりに批判が集中している。
私が思うに、特に男性はそうなりがちかと思うんです。
「あれもこれもできない」もっと言うなら一番大切な「命」と向き合い、親を愛せば愛するほど
「命」に頭がいっているので仕事モードにならない。
結局、辞めるしかない。
私も危うくそんな事態になりそうだったので、そこから抜け出られなくなる
状況、気持ちは100%痛いほどよくわかります。

この1年、叔母から様々な貴重な経験を与えてもらいました。
「認知症とALS」という二つの難病の果て、それでも見事に美しく命を燃やし、
一雫一雫の涙の重さを教えてくれた叔母の命の輝きを胸に、私も与えられた命の限り、
皆さんのスマイルへと頑張ります!

 沢山の励ましの思い、本当にありがとうございました。

 今日から二日間の京都「雅都雅都」ライブ。
皆さん、笑顔でお会いしましょう!

2018年6月23日     白井貴子


【京都大原「たんば茶屋」 「命の種まき」】


  

【大山開山1300年祭コンサート】
  
大山開山1300年祭コンサートで応援の皆さんと  鬼太郎ロードでねずみ男と
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「子供は10歳までに土と親しまなければ、宇宙人になってしまう!」
って!(‘;’)
沢山の子供達に声をかけ、大地で遊んで歌って!そんな日を増やしたいと願っています。
チビッコのお父さん!お母さんは勿論!沢山の皆さん!
ご協力どうぞよろしくお願いします!
みんなで応援、Flower Power